日本と中国 2011 1 30

書名 日本支配を狙って自滅する中国
著者 黄 文雄  徳間書店

 この本から、興味深いところを引用しましょう。
以下は、引用となります。
 毛沢東の時代は、中国的特色を持つ社会主義体制だったが、
改革開放後の30年間に徐々に確立されたのは、
富の少数集中から生まれた、
いわゆる「権貴(特権貴族階級)資本主義体制」である。
 では、革命60年で、なぜ中国が、そこでまで激変したのかというと、
それは、地上資源と地下資源が枯渇し、自力更生が不可能になり、
もはや外国という他力本願でなくては生きていけなくなってしまったからだ。
 そこで、中国は海へ出る戦略に出た。
以上、引用。
 ここは、少し補足します。
この本にも書いてあることですが、
歴史的には、中国は、政策として、海に出ることを禁じていたのです。
著者は、「中国は大陸国家として、
海を未知の世界、暗闇の世界として拒否し続けた典型的な陸の文明であった」と書いています。
 もうひとつ、引用しましょう。
以下、引用。
 日本人は、案外と人脈やパイプを重視するが、
中国では、ある種の国家意思が働くと、
その国家の指導者でさえも思いどおりにはいかない。
 小沢一郎元幹事長が、中国に大訪問団を結成して朝貢外交を行ったが、
そんなものは、何の足しにもならないのだ。
 逆に、中国における一定の人脈を重視しぎると、
権力構造が変わったとたん、パイプが全くなくなってしまったり、
以前の人脈の反対勢力から叩かれたりすることになる。
以上、引用。
 日本人と中国人。
見かけは、よく似ていて、外国人から見れば区別がつかないでしょう。
 しかし、中身は、大きく違います。
だから、永田町の感覚で、中国と接すると、それは間違いです。
日本の政治家は、あまりにも永田町文化に染まっていて、
その感覚で、外交をしているように思います。
 日本の民主党政権は、政権交代した時に、
かつてなかったほどの親中政権だと言われていました。
 しかし、その民主党政権の時に、尖閣諸島の問題が起きました。
永田町の感覚では、外交は通用しないのです。
 「中国のやり方は、一度ドカンとケンカをしかけてから、
後は、長期戦でゆっくり解決していくという手法だ」(著者)
 いずれによ、日本の政治家は、外交に永田町感覚を持ち込まないでください。
そういうものが通用する国はありません。
(参考)
永田町とは、日本の政治の中心地のことです。

試される日本外交 2010 11 6
 菅政権の苦境については、
鳩山政権が作ったとも言えるでしょう。
多くの国からは強固に見えた「日米同盟」に亀裂が入ったのは、
鳩山政権の普天間基地問題の迷走が原因でした。
 強固だったはずの「日米同盟」に亀裂が入ったとすると、
当然、日本に利害関係のある国は、日本外交を試したくなるのです。
そこには、「脅し」もあれば「すかし」もあるでしょう。
 これを外交力で有利に切り抜けられるか。
おそらく難しいかもしれません。
長年の対米従属という「温室育ちの日本外交」。
さらに、外交戦略どころか、外交哲学もないでしょう。
 つい最近まで、日本で「国益」という言葉を使うと、
「右翼」と言われてしまうような雰囲気がありました。
こんな雰囲気では、外交戦略も外交哲学も育つはずがありません。
政治家が堂々と国益を語れるようになったのは、21世紀になってからでしょう。
(21世紀に入って、北朝鮮が大暴れしてくれたおかげで、
日本人の平和ボケが少し治ったかもしれません)
 強固な「日米同盟」があれば「かごの中の鳥」ですみましたが、
それに亀裂が入った以上、かごの中には猛獣が入り込むでしょう。












































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